平成の話
実写版の秒速5センチメートル見た。アニメの方は当時作られただけあって空気感というのがそのまま保存されているように感じるが、実写は作られた平成という感じがしてあまりしっくりくるものがなかった。同時代的な要素というものを俯瞰して見れる程度には歳を取ったということなのだろうが、それはともかくさまざまな形で感覚を再構成するという行為を最近は面白く思えるようになったので、何故秒速の方法が微妙に自分の感覚とずれているのか考えてみたいと思った。
実写の秒速5センチメートルはredio head、ガラケー、BUMP OF CHICKENなどがそのモチーフとして利用されているみたいだったが、どうも片手落ちのように感じた。小学生時代(おそらく2000年ぐらいか?)の登場シーンで既に半袖パーカーというYouTuberのヒカルしか着てない服を着て遠野くんが登場する。小学生の服というのは伝統的に終わった見た目なのだが、自分の記憶だと下の世代あたりでまともな子供服が普及し、見た目がマシになっていたはずだ。このように文化というのは非連続な変化があり、漂白され、規格化された後の人間からするとそれ以前というのは想像がつきにくい。打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?(1993)なんかはわかりやすく子供達の服装の現代との違いがわかるかもしれない。イオンやヨーカドーの最盛期、子供達の服は完全に謎だったのである。
常識というのもまた変化する。20年というのは文化が大きく変化するには十分な期間だ。タバコはそこらへんで吸えなくなったし、飲酒運転も厳しくなった。テレビの地位の致命的な低下というのもそれに入るのかもしれない。自分が子供の頃はまだテレビによって常識というのが形成された時期で、そしてその力が失われていく過程でもあった。ゲームも同様の地位にあったのだが、現代ではまた別の地位にあるように見える。秒速を見て思ったのが、世代を形成したカルチャーは不可避なのだが、それをまったく感じさせないことだった。コンビニで流れる曲、カラオケで友達が流す曲、学校祭ではそれらをモチーフにした発表や出展があり、準備期間中には誰かが大音量で流している。必ずそれらのカルチャーは日本の学校に通っている限り浴びるのだが、彼らはそこらへんを経由した感じがしない。先に挙げた打ち上げ花火の映画だとそこらへんが上手く表現されていた(というのも元々は夏休みの昼にやってたドラマらしいから、そういう作りなのだろう)。アニメの方も小学生の遠野くんの家にスーファミが置いてあり、同世代の人間がなんとなく子供の頃について描画すると出てくるものを時代の空間と呼ぶなら、実写の方はそれがまったく感じられなかった。生活を通じて人生が現れるのだが、生活が皆無なのだろう。
自分があれらの時代について想像するものとしたらなんだろうな。あの時代はまだ人に向けてエアガンを打っても死ぬほど怒られるだけで済み、そして打っている人たちがいた。小学校で先生に打ち込んでいるやつらもいた。暴力もまだ身近で、小学校や中学校ではよく人が殴ったり殴られたりもしていた。最近はまったくそういう話を聞かないし、恐らくはこれもまた漂白されたのだろう。親族の家で飲んで泥酔した父親が運転して実家まで帰った。これもまた漂白された文化だった。タバコはどうなんだろうか。紙タバコはもう未成年のカルチャーとしても馴染まないようにも見える。
エヴァが流行って、リリィシュシュが流行っていた。陰気なものが主流だった感覚がある。嫌な感じのいじめの事件があり、また不良は嫌な感じのいじめをしていた。警察がちゃんと介入するようになったのはここ10年ぐらいで、それ以前は殴られて金を取られても、そしてそれが続いても何もなかったような印象がある。両親もそのまた両親もそれが普通だと思っていて、誰かが死ぬまで続くんだろうなとそのように思っていた。東京だから違うのかもしれないが、遠野くんとあかりのような二人は恐らくかなり嫌な目に遭うだろうなと思ったし、そしてそれらがその時代的な描かれ方ではなく、現代において問題にならない程度の描写になっていることもまた時代性に対する違和感だと思った。いじめの空気としては聲の形が近いかもしれない。とにかく陰湿で、不快な時代だった。
あの時代の二人だからこそあのような特別な関係になったのだというポイントが自分の中にあったので、そこから時代性を脱色するとなんとなく読書の趣味が近かったぐらいになってしまい、あまり乗り気になれないような話になってしまった。大人になったあかりはかなり最悪で、夏目漱石のこころを読みながら横の女子高生が話してた「人と人が出会う確率0.005%」という嘘すぎる豆知識を職場である紀伊國屋の同僚たちやプラネタリウムで出会った小学生に披露する感じの人間になってたし、このようにショート動画で見たヤバすぎる話をしてくるやつとほぼ同じことをされると、ある種の時代精神から外れた二人という話ではなくお前はど真ん中やんけってなってしまい、あまりいい印象を持てなくなってしまった。遠野くんは尖りすぎててもはや老害の領域に入っていたのでギリギリ許せるとして、致命的な部分で何かが壊れた映画であるように感じた。
時代性がさせる色も匂いも雰囲気もあれほど消すと、なんだかよくわからないような作品になるなという感想だった。いい映画なんだと思うが、俺はそれほど良いとは思えなかったな。